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『ネット王子とケータイ姫』
ネット王子とケータイ姫―悲劇を防ぐための知恵
ネット王子とケータイ姫―悲劇を防ぐための知恵
香山 リカ, 森 健 共著
2004年6月、世の中を震撼させた事件は長崎佐世保の公立小学校、その校内で起きた。ここ数年若年層による犯罪などそれほど珍しくもない様相になってきてはいるが、この「佐世保事件」がメディアを通して見せたものは大人世代が感じているより遥かに「低年齢層のIT化」が進んでいるということ、尚且つその環境や実態は大人たちが把握するよりもっと深刻で見通せない面を持っているということである。
凶悪で悲惨な事件は年々地方分散していくという見方を引き合いに出すまでもないが、ネットや携帯電話(以下ケータイ)という時間と距離の概念を変えてしまうシステムやツールの発達と浸透によって、人口比率や産業分布、自然環境や地方慣習などを凌駕して、一見穏やかな地方都市ののどかな一画に思いもよらない「世界」を生み出している。
その世界は多くの大人たちは知らない。知ろうとしてもそれは無理である。知っていても抑えることは不可能である。
この事件を知った時、私は起こるべくして起こった事だと半ば静かにそしてざわついた。
実際にこの自分が以前ネットという場所にはまりこみ、家族を困らせ動揺させ大事な友人を泣かせたりもしたからである。
事は静かに堂々とものすごいスピードで侵攻していく。
痛みや悲しみや怖さや、確かに悦楽に値するものも、すべてが僅か数平方メートルのテリトリーの中で得られてしまう「世界」が自分を襲い巻き込んでいく。
社会生活を営み生活を為す「大人」に属する自分でさえそんな状態に陥ってしまった「世界」に未成年が未発達なまま出会ってしまったら・・・。
「インターネット利用の約束ごと」を小学生向けに作成した総務省には悪いが、野火は推測不可能な範囲と勢力で既に日本の隅々まで広がっていると感じてしまう。
そんな諦念にも似た感傷を「どうしようもない」と忘れかけていたときにこの本を読んだ。

精神科医の香山リカ氏とフリージャーナリストの森健氏が書かれたこの本は、副題に「悲劇を防ぐための知恵」とつけてある。
そんなものがあるのだろうか、と思いつつも読み進めたのだが言いたいことがはっきり打ち出されていて非常にわかりやすかったし、有効性は定かではないけれども中学生や高校生でも理解できる割り合い平易な文章で書かれていて好感を持って読めた。




市民グループが「ネット指導は学校でやるべき」といい、教育委員会はそれをうけて「見直し」を行う方向へ動き始めた。それと平行して「カッターナイフの取り扱いも(!)」見直しへ動き始めたという話が載っている。そして香山氏は、
答える側の教育委員会は「パソコン」「ネット」の危険性を「カッターナイフ」と同じ次元でしかとらえていない
と見る。
多くの大人たちにとってみれば教育委員会のこれらの回答が納得いくものではないと感じるにしても、どこがおかしいのかどこを指摘改正すべきなのかはわからないのはもっともであろう。
引用したい箇所は多々あるが、長くなるので割愛しながら抜粋させてもらう。
無料のコミュニティサイト・アバター・blog・2ちゃんねる用語・FLASHムービー、
文中引用された言葉は私には何年も見慣れたものやごく普通の日常的言葉だったりするわけだが、実際この本を読む大人の中には、香山氏が言うようにちんぷんかんぷんに思える人がいるだろう。
これに続く「デジタル・ディバイド」この格差が「悲劇を含有している」と思える。
一日のうちわずか10分の差でもネットやケータイに長く接するだけで人より知識を得られ結びつきが深くなる、その「格差」が快感となり依存へと繋がっていく。政府が国が大人がどんなに急いだとしても、一度その差異快感を知ってしまった子供たちは「ネチケット」という言葉を「帰ったら必ずうがい手洗いをしましょう」の張り紙程度にしか見ない。
情報や得られる精神的快感や依存できる場所・世界は流動していて魅力的な生き物だという「感覚」は「知らない」大人たちには理解できないものだからやっかいである。
しかし「知らない」から「わからない」から、立てる指針も方策も無駄だと決め付けて終わるわけにはいかない。
かつてWWW(world wide web)という言葉を初めて知った時、私はまだネットに繋がる前だった。それ以前はパソコン自体今とは違う代物としてただの大きな電算機みたいなものとして私の前にあった。命令すれば計算をしてくれることだけでも感動したものだった。そしてある日WWWが実現され広まりそれこそ日進月歩以上の速度で展開され始めた。
基点がそうだったからこそ、かろうじて現実世界へと戻ることもできたのだろうかと思える。うまく説明できないが、ネットやケータイで他人と結びつく前に、そのシステムの概観についておぼろげながら認識できていたからではないだろうか。

ゲーム脳・チャットトラブル・出会い系・ケータイ依存・ネット依存などが取り上げられ話は進んでいく。
そしてフィルタリングソフト・子供向け検索エンジン・学校と家庭での教育と続く。
どれも考えさせられ共感でき反発も覚える興味深い話ばかりである。
ネットに携わり、ケータイで連絡を取り音楽も聴きTVも見る人は、子供が危ないとかITの行方とか政府の見解とかそういう複雑でとっつきにくい事は考えないで、とりあえず一読を勧める。
あくまでも私はネットは、ケータイは楽しいと思う。
過去に痛い思いを重ねた経験があったとしても、である。
そしてその上で願う。
子供を悪意から守るための情報関連についての取り組みや政策・制度は、日本も世界水準程度には並んで欲しいと。

最後に少し長いが引用をしたい。
その昔、ケータイがない時代もあったという――あとがきに代えて
2004年の夏、大学で一年生に課したレポートを採点していた私は、ある男子学生の書き出しを読んでひっくり返りそうになった。そのレポートの課題は、「今、身の回りにあるメディアのひとつを選び、それがない世界を想像して記述しなさい」。その学生のレポートの書き出しとは、こうだ。
「その昔、ケータイがなかった時代もあったと聞いた。人々はいったいどうやって生活していたのか。私はその時代のことを想像しながら、このレポートを書いてみたいと思う」
| | 04:39 | comments(2) | trackbacks(1) |
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いろいろ忙しそうなハジメオンラインさんところで、3歳児がブログしてるって言う話を読んだ。
http://yaplog.jp/lirica/
マジなら普通に怖いし、(何故怖いかなんてこの際突っ込み不要)
写ってしまっている(!)お母様とかが「りりかです」ってブログってるとすれば、なおさらこの記事に急接近する代物じゃないでしょうか。
別にいいんです。
顔をさらそうと身元がわかってしまいそうになっていようと、本人の問題だし。
って一種隔靴掻痒感がなきにしもあらず。
(言葉で煙にまくなw 言ってる事がわからん。>あたし)

『ネット王子〜』の中で香山氏は
「そう考えればITはある意味で、性別を希薄にするのではなく、むしろ際立たせるメディアだともいえる。それは少年少女においても同様であり、佐世保事件の加害少女も、自分のホームページではスタイルのいい美少女キャラクターを自分のシンボルとして利用していた。」
と書いています。
その例のカボチャってのを見てないんだけれど、気分で変えていたのかもしれないし、普段はどっちだったかとか一番思い入れが強かったのはどれだったかとか、取材された時点でのアバターがカボチャだったけれどそれは一時期だけで実際は美少女に変身していたのかもしれない。
なんて、ほら、そういう細かい事だけでも、実際は本人しかわからない闇が広がっている。ネットは流動的で自由で拡散的だから実態把握は非常に困難、いや、無理だと思う。

ネチケットを叫ぶ虚しさって、ネットゲームで廃人間際だった自分としては痛いほどわかるわけで、「世界」を知らない人たちがどんなに水面で声を出しても海底へは伝わらないんだよね。
幼稚園の入園試験対策ができるくらいなら、もうそのあたりからなんとかしないとだめなんでしょうかね。皆目見当がつきませんけど。

上記を一旦送信した時点でエラーが出まして、やり直しするついでにりりかちゃんとこを見てきました。
顔がバンバン露出してるのも凄いけど、(ネチケットに抵触してるのをわかっているのかわかっていないのか・・;)
お父様、お母様のリンクもあったりしてそっちも凄い。
実態はもうこんな感じなんですよ。
総務省はすべてのブログから観覧してもらいたいな〜 なんて。
むかーしネトゲーで廃人寸前だった自分としては、カボチャを選んだ少女(香山氏が取材した時点では、自分のHPではシンボルとして美少女キャラを使用していたと書いてある)も可愛い自顔を載せる人々も、気持ちの一端はわかる気もする。
問題は、操作できないそういう生身の感情や行動をどこの時点でどうやって本人自身に制御させることができるかでしょう。

あたしはいい友達がいたから生還できたと思ってるよ^^

もちろん勝手なことを書いているのはこのサイトも同様なので、決して他のブログさんところを非難中傷する意図はないので、
その事は言明しておきます。
| 蓮如 | 2005/02/27 11:53 PM |
先日、あるラジオで
「今の子に電話の音を表現しろといったら
しばらく考えて「プルプル・・・?」って言った」という話を聞いた。
しばらく考えたのはどうやら「着メロ」以外でなんだろう、と思ったかららしい。

あたしなら「りりり〜ん」なんですけど。
家に黒い電話があったんですかっ!?って
高校生に驚かれたりしてる自分。
私の「昔」って「明治大正」とかに近い感覚ですか?って感じです(トホホ


佐世保の事件についてですが、
ネット上で意地悪されたから殺したという事件そのもののほうよりも、私は、彼女(加害者)がつかってたアバターを見た時のほうが衝撃的だったんです。
あの、例のカボチャ頭のコワイやつ。

ハンゲーやるときも待機中のアバターがあれだと対戦は避けてます。アバターなんてどこまでも仮の姿なんで、「顔が見えない」という例えはおかしいけど、仮の世界ですらも人に顔を見せたくないってどこまで病んでるんだろうと
なにやら空恐ろしいものがあります。

小学生の女の子だというのに
なんであんなのを選ぶんだろう・・・
そこらへんですでに歪んでいる気がしてなりませんでした。

『ネチケット」というのはかなり早くから言われてますが、「被害にあった人」が嫌な思いをしたから問題提起してるわけで平気で人を傷つけてる人たちにネチケット意識を持たせようなんて無理な気がします。

世界に発信、繋がってる、というイメージがウリのネット世界ですが。私が日々接している「ネットワールド」というのはものすごく閉塞的。『インザプール』のケータイ少年じゃありませんが、「人を排他する力の強い世界」でもあります。ネチケット問題ってのはそのあたりをキチンと意識できるかどうかにかかってる気もします。
そのためには情操教育期間中にはネットに触らないで「生身の人間とつきあうことを覚える」っていうのがいい気もするなぁ・・・。
ま、それも無理やろうけどねぇ
5歳くらいでケータイ持たせちゃったりしてるしねぇ・・・はぁ(-_-;








| 梅庵 | 2005/02/27 8:11 PM |









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| iFinder 雑読乱文 | 2005/04/05 11:53 PM |